生きてる意味を語る
暇なので生きてる意味を語る。生きてる意味とは?暇だからそんなことを考える。あるいはまだ先が長いからそんなことを考える。少なくともまだ50年は生きるだろう、そんな余裕が垣間見える。紛争の中で暮らしてる人達は生きる意味を考える余裕なんてないかもしれない。日本は平和ボケしている。ちょっと想像してみると日本はなんて恵まれているのだろうと気づく。
水道の蛇口をひねる、水が出る。それでお湯を沸かす(最近の電気ポットはスゴい)。それでカップ麺なんか作る、3分後には食べられる。早すぎる、昔の人は井戸から水を組んだり薪を割ったりしていただろうに。結果、暇ができる、生きてる意味なんか考えだす。
生きてる意味なんかない、と言ってしまえばそれまでなのでちゃんと考える。生きてるとは…?現代人はマンモスを追いかけない、まず働いている。お金が必要である。でも憂鬱になったサラリーマンがたまに線路に飛ぶ。死にたい死にたい死にたい…
まあ生きてる意味なんか考えても仕方ないのである。考えてもつまらない。そう、つまらないのである。目の前の事がつまらない。世の中はリア充推奨。僕たちは遊ぶべきだ、大いに遊ぶべきだ。僕は最近、ゆるキャン△というアニメにハマっている。昔観ていたけいおんのような雰囲気で面白いのだ。今、僕に生きる意味を問うならばゆるキャン△と答えるだろう。