群れて暮らす

羊の雑記

フツーでいること

  「迷ったらフツーにしていること」。よほど周りが見えてないのなら話は別だがそれでよいような気がした。フツーにしていればよいと気づけばその場その場の環境に合わせた"フツーの自分"になる。ちょうどよい自分。暑ければ上着を脱ぐように体の中にあるリズムが周りと合わせてくれる。ただフツーにしていればよいのだ、僕にはもうわかっている。

 

  ただそんなフツーの自分が嫌だったり辛かったりするのなら環境が間違っている。陽キャはオタクの集まりには入らない。その人その人に応じた住む場所がどこかにある。だから環境を変えるというのは自分が移動することだ。外へ出る、居心地のよさを追及してみる。自分の部屋が嫌なら趣味を変えてみる。自分から動いてみる。ただフツーであることを目指せばいい。合う人、合わない人、無理に人と付き合う必要はない。ただ居心地のよさを追及すればおのずと会う人と会う。

 

  行きたいところへ行けば同じような人が集まるものだ。あなたが学生ならあなたが行きたいと思った学校にあなたと同じような人がいる。あるいは勉強が嫌いなら学校へ行っても途中で辞めるかもしれない。それぞれが"フツーの自分"を目指している。自分はこういう人間である、それは周りからそう見られているのもあるし本当は違うんだと思っている気持ちもある。何者かになる必要はない、ただフツーでいればいいのだ。